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元日本代表監督オシム著作の「日本人よ!」を読了しました。
タイトルの「日本人よ!」だと日本人観が多めなのかな?と思いがちですが、サッカーに関する見方、考え方、哲学が多い本でした。
本の中では日本代表のドイツワールドカップでの戦いぶりを振り返っていたり、中村俊輔、平山相太に関する、貴重なコメントが述べられていましたよ。
この本を読んで痺れた名言をいくつか紹介します。
オシム名言
個人的にはこの本のピークは第一章でした。
信じた分だけ戦うことができる。
「だから今はまず、自分が可能なやり方から探す必要があるのだ。はじめに諦めてしまったならば、つまり、他人の方がいつも優れていると考えてしまったならば、そこで進歩はなくなる。多く長く信じてきた分だけ、人は戦うことができる。だからもっと良くできる、到達できる、と信じなければならない。この先は駄目だ、もう何もできないという態度をとってしまったら、そこで終わりなのである。」(p.26)
このオシムの言葉は、信じることの重要性と諦めることの危険性を力強く主張していて、今までの自分を見られて、励まされているような感覚になりました。
僕は自分にとことん自信がなく、諦めから物事に入ることが多いんです。
「どうせ駄目だ」「やっぱり無理か」
最初に自分の成長を信じることで、ネガティブな傾向を少しでも良い方向に持っていければと思いました。
模倣をやめ、客観的に力を見極めよ
「日本人は世界最高のものを模倣している。まずそれをやめるのだ。客観的に自分の力を見極め、そこから自分の道を探して欲しい。その先にのみ、栄光は待っている」(p.41)
バルサのサッカーを模倣したりするのはやめて、日本人の能力特性にあったサッカーを志向していこうという流れでの発言。
ブログ運営でも自分の型ができる前に模倣したり指導されたりすると、何がいいのかよくわからなくなってしまう気がしていて、半年位は自分なりにやってみてから模倣しようと思ってます。僕のよさってなんだろうなぁ。
規律やルールは時として考える力を阻害する。
「日本という国は、規律やルールがあるからこそ、すべてがうまく機能している。つまり、自分の頭をあまり使うことなく、規律やルールを重視して行動しているからこそ、『アナーキー』な状態とはほど遠い国となっているのだ。それはとても尊重すべきことである。だが、サッカーは別である。選手たちも見る側も自分たちで考えなくてはならないのだ。選手たちも見る側も、ロボットではいけないのである。」(p.42)
アナーキー:無政府状態
規律やルールのデメリットを考えたことがなかったので新鮮でした。そう言われれば、戦時中には厳格なルールや規律が定められていたような印象がありますね。社会が整備されていなければ、個人の考える力が身に着きやすいというのはおもしろい指摘です。
個人の生活ルールに関しても同様の指摘が成り立つ気がします。ルールを作ることによって、考える手間を省略する。何かを考える・成し遂げる為の資源の節約として、ルールを導入するならOK。考えることを放棄するためにルールを導入してしまうと間違いが始まる。
日本人よ! | ||||
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泣いて喜びます。
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