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黒木渚の小説「壁の鹿」を読みました。
壁の鹿は2015年1月21日にシングル「虎視眈々と淡々と」の特典として初公開され、講談社より2017年4月14日に文庫本が販売されました。
参考 黒木渚の小説「本性」と「壁の鹿」が初の単行本化!これは買うしかない。
黒木 渚 講談社 2017-04-14
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読みやすく、随所に名言もあって、終わり方も主人公の強さが描かれていて読後感がいい。
目次(クリックでワープ)
「壁の鹿」
あらすじ
壁に掛かっている鹿の剥製が話し始める、という話です。
鹿の剥製との対話を経て、人間が再生して行く様子を描いています。
壁に飾られた鹿の声が聞こえたとき、孤独な魂に革命が起こる。
ページ数は381ページ、全6章。
処女作としてはページ数も多く、おかしな日本語も全くない。
構成
1〜4章は独立した話。
共通しているのは壁の鹿と各章の主人公が対話をするという点。
壁の鹿は同一ではなく、各章ごとに異なる。
5章「夢路」は猟奇的な話で、1〜4章までの話とはガラリと趣が異なる。
3章の「あぐり」が出てくるなど章を超えたつながりも出てくる。
起承転結の「転」
5章を読んでいるとハンターハンターという漫画のヒソカが思い浮かんだ。
最終章の6章「タイラ」は第1章の「少女タイラ」のその後を描いた話で、
2章の「多田野マシロ」が喋る剥製の謎について調査したブログの記事が差し込まれるという構成になっている。
名言
第6章だけに限定しても名言が多い。
言いたいことを的確に、かつ強さのある言葉で表現するのがうまいなぁと思う。
死にゆく父に
「あなたは死ぬかもしれないけど、私はこれから生きていかなくちゃいけないの。自分だけ吐き出して、気持ち良く死のうなんて、許さない。」「お願いします。悪人のまま死んでください」
アメリカのストリートミュージシャン
「私が投げ入れた10ドル札を見た途端、彼から私に向けられていた厚意は、ただの媚びに変わった。貧しいという具体的な状況が、彼をしたたかに育てたのだろう。なんにせよ、興ざめだと思った。そしてひねくれまくった自分自身の貧しさにも辟易した」
幼き自分の防衛機制
「悲しんだり、同情したり、共感したり、喜んだり。一切合切、やめてしまったのですよ。正気でいるために」
「それってすごく臆病なことだよね・・・」
「そうとも言えます。でも、しょうがなかったんでしょう?あなたはまだ幼かった」
「壁の鹿」の考察
話さないはずの剥製が言葉を喋り、それに戸惑いながらも、対話を続けると・・・というのがこの本の設定であり、全てです。
最終章で多田野マシロが突き止めているように壁の鹿と話すことはある種のカウンセリング的効果を生み出し、話す者の心のしこりをほぐしてくれる作用があります。
聞こえるという現象の曖昧さと、あぐりとタイラの対照性について感じたことを書きます。
「聞こえる」は主観的問題
話さない物が話す時点で「そんなことありえねー」と思う人もいるかもしれません。
「何か聞こえる」というのは実はとても主観的で、統合失調症などの病理では自分のことを噂しているという対話性幻聴が聞こえます。
聞こえている本人にとっては”聞こえている”ことはたしかであって、それを報告された人には”聞こえない”というだけです。
どちらが正常で異常かの基準は一方からの独断でしかありません。
聞こえるというのは客観的なことのように考えてしまいますが、痛みと同様かなり主観的な問題です。
モスキート音は年をとると聞こえなくなる
コンビニの自動ドア近くで流しているモスキート音は、高齢者には聞こえませんが、若者には聞こえるので若者がたむろすることを防ぐ効果があります。
参考 耳年齢テスト | 調音・遮音のAURAL SONIC【オーラルソニック】
40歳くらいまでなら聞こえる15,000Hzの音が32歳の僕は既に聞こえませんでしたorz
壁の鹿では、年齢ではなく心理的負荷の大きさが引き金となり、剥製が話し始めます。それは寓話的なありえないことではなく、十分にありえることだと思いました。
ゲシュタルト療法の「エンプティチェア」
心理療法の1つであるゲシュタルト療法の「エンプティチェア」という技法は2つの椅子を用意して、相談役の自分、聞き役の誰かの2役を自分が演じるというものです。
いないはずの他者になりきって自分が話すことに特色がありますが、何も事情を知らない人がその光景をみたら「こいつ頭おかしなったんちゃうか」と思える滑稽な状況に見えるでしょう。
壁の鹿の声が聞こえるというのは、声の主が対象としてそこに存在しているので、いないはずの他者になりきって自分が会話をするということに比べれば、不自然さはそこまで感じません。
あぐりとタイラの対照性
3章の彼氏への束縛が強いあぐりと最終章のタイラが対照的でした。
死後の世界に逃げ、自分が剥製になることで剥製の世界の住人となろうとするあぐり。
現実の世界で生きぬく腹を決め、剥製(宮島さん)の声を自身の内的な表象として取り入れたタイラ。
2人はともに強烈な悲壮感、絶望を感じている点は共通していました。
が、その後の選択した行動は全く別。
弱かったあぐりと強くなったタイラ。
ラストの力強さ
ラストのタイラの姿には心がしびれた。
「それでも・・・・・・。それでも私は父を許せません」
誤解や憎悪が渦巻いた嵐の中を颯爽と切り裂き、父の死を弔うタイラ。
許せないから弔わないのではなく、許せないが弔うという心情の変化が見てとれる。
親戚が集う完全アウェーの49日法要にわざわざ弔いに行かなくてもよかったはずだ。
弔おうとする気持ちが高ぶったのが49日法要だったのか、
自分の過ちを受け入れる心づもりをして、あえて49日法要に出向いたのかはわからない。
「だけど、平気だ。私はとても強いから。」
強がりや虚勢ではない。
自分の成長や覚悟を噛みしめているように感じた。
「タイラさん。いかにもあなたらしい」
タイラの内的表象となった壁の鹿(宮島さん)の声が聞こえている。
タイラの心で宮島さんが生き続けている。
彼女にはこれから素晴らしい人生が待っているに違いない。
どんな悲劇が訪れてもタイラならきっとうまく生き抜いていける。
ハッピーエンドとは?
映画などでは終わり方がバッドエンドだと評価が低くなる傾向があります。
ハッピーエンドだから良い、バッドエンドだから悪いというのはとても浅はかで、1つの出来事に対する結果でしかありません。
その結果を元に、次の行動が導かれて結果が出る、そしてまた次の行動へという連鎖が続いていきます。
その後の行動で強さを手に入れられるなら、バッドエンドはハッピースタートになりえます。
ハッピーエンドは次なる行動のバッドスタートになってしまうかもしれません。
「結果に対する意味付け(リフレーミング)は自分で変えることができる」という言葉の意味を壁の鹿を読んで実感できました。
黒木渚と日食なつ子の共通点
黒木渚と親交のあるアーティスト日食なつ子。
2人の共通点て何だろうと?
歌詞の強いメッセージ性に似た雰囲気は感じつつも、うまく言語化できずにいました。
鹿の壁を読んではっきりとわかりました。
歌詞が力強く、そのエネルギーが楽曲に反映されているということです。
絶望に打ちひしがれながらも、そこから這い上がろうとする人間の底力、魂の咆哮を感じとることができます。
声を取り戻したら直ぐに運命への反撃を始めます。
私の1番大事なものを取り上げるとは何と悪趣味ないたぶり方。許さない。
— 黒木渚 (@KurokiNagisa) November 7, 2016
日食なつ子「ログマローブ」
断崖絶壁切り立った崖のその切っ先に立ってんだ
もう一秒だって今の自分でいたくないんだ
目下に広がる大展望は未来の気配を孕んでいる
ひっくり返して遊ぼうぜ
黒木渚「ふざけんな世界、ふざけろよ」
駆け上がって転げ落ちて人生はコメディ
何度でもこっぱみじんになって
やけくそで立ち上がって スパイみたいに良く狙って
くすり くすり 狙撃する
ユーモアの弾丸くらって 世界が目を覚ます
黒木渚の2冊目の小説「本性」も購入済みなので読めたら記事にします!
楽しみ〜。
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泣いて喜びます。
<a href="http://49hack.jp/shikanokabe-kurokinagisa/">「壁の鹿」を読了、ミュージシャン黒木渚は文豪だった(ネタバレあり)</a>