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2017年1月30日に島根で起きた交通死亡事件が、いろいろな意味で衝撃的だったので記録。
神のはからいか悪魔の所業か。
少し不謹慎ではありますが、感じたことをまとめます。
島根県益田市の国道191号の交通事故
事件の概要については読売オンラインから引用。
島根県益田市の国道191号で30日、小学生の集団登校の列に飲酒運転の軽トラックが突っ込み、小学3年の男児(9)と、付き添っていた男性(73)がはねられた。
男児は軽傷だったが、男性は31日未明、搬送先の病院で死亡した。男性は33年前、現場近くで下校中の次女(当時7歳)を交通事故で失っており、再発防止のために集団登校の見守り活動をしていた。
亡くなったのは三原董充(ただみつ)さん73歳。
33年前の交通事故についてはネットでは詳細わからず。
「島根(国道191号)の交通事故死」の深読み
「島根(国道191号)の交通事故死」で感じたこと。一部妄想。
事件への憤り
飲酒運転の事故については危険運転致死傷罪が2001年に成立し、業務上の過失ではなく「故意犯である暴行による傷害、傷害致死に準じた犯罪として処罰する」制度が整ってきたとはいえ、ほとんどの事故で適用されていない。
一方で、飲食店では「車の人にアルコールは提供しません」という張り紙を店内に貼ったり、カラオケ店では車で来たグループにはアルコールは提供しなかったり、飲酒運転撲滅に向けた取り組みを感じられます。
それでも、「娘を交通事故で亡くした人が、同じような交通事故で死ぬ」という漫画みたいな悲劇が起きてしまいました。
三原董充の執念
娘を亡くしてから33年間、事故の再発防止のために活動していたという三原董充の行動力。
彼が33年間ずっと見守り活動をしていたのかどうかは定かではありませんが、73歳と高齢にもかかわらず、冬の寒さが厳しい1月に見守り活動をしていたという事実が全てを物語っているように思います。
娘と同じ年代の子供を見るたびに、亡くなった娘を思い出して辛くなかったんでしょうか、辛さはとうの昔に過ぎ去り、今は喜びに似た感情が芽生えていたんでしょうか。
三原董充の行動から執念を感じます。
被害者の親の執念が凄まじかった「64(ロクヨン)」の世界に近いものを感じました。
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今回の事故ではその執念が、奇しくも、自分の娘を助けてあげることができなかった男の長年の無念を晴らすことになりました。
なぜ、死なないといけなかったのか
「無念を晴らさせる」だけなら死ななくてよかったと思うんです。
なんで、死なないといけなかったのが年表を整理すると見えてきました(妄想)
ニュースで報じられたのは「73歳で亡くなり、33年前に娘(7歳)が事故死」ということ。
三原董充さんの年表を整理すると以下のようになります。
0歳からカウントするのが強引だろ!とかツッコミどころ満載ですけど。
事故で亡くなった娘が生まれるまで(出会う)までに33年、
事故で娘を亡くして33年経過して三原董充さんが亡くなりました。
ということは、天国で娘さんと出会えている(はず)という推論が成り立ちます。
- 33年の空白 → 娘が誕生(出会い)
- 33年の空白 → 天国で娘と再開?
つまり、神(悪魔)?のはからいによって、長年の無念を晴らし、娘と再開させるために今回の事件が必然的に起きた可能性もあるのではないかと感じました。
「33年」というのは考えてみると、僕にとっても意味のある数字で、今年で33歳になりますし、大学も33期生でした。何気ないニュースでしたが、「33年」という数字に運命性を感じ記事にしました。
繰り返しになりますが、不幸な出来事・事件を茶化すつもりは毛頭ありません。亡くなられた三原董充さんのご冥福をお祈りいたします。
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泣いて喜びます。
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