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予備校生殺人事件の被害者が志望大学すべてに合格していたことが、昨日一斉に報じられた。予備校生であったこと、事件直前に受験していたことから、「合格」のニュースがネタとして投下された。僕はこのニュースを聞いて、言いようのない違和感を覚えた。その違和感の正体について考えてみた。
目次(クリックでワープ)
「殺された予備校生、阪大合格」報道の違和感
「合格」を伝えることで、何を得るのか
なぜ、「合格していた」ことが報じられる必要があるのだろう。
殺されるべき人間ではなかった、努力をしていた真面目な子。
そういったイメージを、印象を、視聴者に抱いてほしいのだろうか。
あるいは、容疑者の心証を悪くするためだろうか。
合否は何も関係ない
合格してようが、してまいが、
北川ひかるという人間の死の損失、彼女が死んでしまった哀しみは何も変わらない。
医者だろうが、弁護士だろうが、ニートだろうが、ホームレスだろうが、
殺されてしまった人間の価値は皆平等だと思う。
予備校生と阪大生に差はない。
「社会的損失」という言葉でその差は表現できても、命の尊さに差はないのだ。
事件をより悲劇的にするため?
大阪大法学部は北川さんの第1志望。1年間浪人してつかんだ夢だったが、事件で入学はかなわなかった。
殺害女性、悲しき「サクラサク」
「可哀想だね」という言葉を視聴者から引き出せればいいの?
事件をより悲劇的に見せられればいいの?
殺人容疑の少年の受験結果
一方、少年も北川さんと同じ大阪大法学部を受験したが不合格だった。
殺人の疑いで逮捕される少年も、被害者と同じ学部を受験し「不合格」だった。
今回の事件を受験結果で整理すると、
「不合格」の少年が「合格」の少女を殺害した事件となる。
これが逆だったら?
「合格」の少年が「不合格」の少女を殺害した事件
この図式であってもメディアは合否を報道するのか?
「殺した予備校生、阪大合格」というニュースがおかしいのならば、
「殺された予備校生、阪大合格」というニュースもおかしいのではないか。
ゆえに、この事件に合否の情報は必要ない。事件の本質と何も関係がないから。
それに、大学側は殺人容疑がかかっている受験者を「合格」にはしないだろう。
いくら筆記試験が優秀でも「不合格」になる可能性が高い。
そんなバイアスのかかった合否報道に意味はない。
メディアのあるべき姿
「ひかるは見事に大阪大学法学部に合格しました。本当によくやってくれました。ひかるは、とっても親思いの優しい子でした。ひかるもきっと喜んでくれていると思います」
「合格」報道は遺族が9日、福岡県警を通じて公表したもの。
家族という立場であれば、「合格」を報道してほしい!という気持ちは少し理解できる。
「娘は頑張っていたんですよ!娘に感謝です!!」
娘を殺されたという、辛い気持ちに押しつぶされそうな中で、必死に戦っている遺族が思い浮かぶ。
メディアは「遺族発信で合格が公表された」という経緯を必ず盛り込み、遺族の気持ちを報道すべきであって、「被害者が合格していた」という表面的な事実のみを報道すべきでない。「合格」のみの情報を報道することは、悲劇的な事件として際立たせようとするメディアの煽動にほかならない。
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泣いて喜びます。
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コメント
合格できない人間が、合格できる人間に抱く劣等感から、このような事件に至ったという推察ができるから報道したのではないでしょうか。
「合格できない人間が、合格できる人間に抱く劣等感から、このような事件に至ったという推察」は勝手な後付けでどこにも根拠がありません。井上公造氏の芸能ニュースよりひどいレッテルだと思います。