「夕夕方暮れる(立ツ鳥会議)」の感想

夕夕方暮れる

この記事は2019年6月10日に更新しました。
情報が古くなっている可能性があるのでご注意ください。

この記事の読了時間は約6分です。

芝居「夕夕方暮れる」を見てきました。

久しぶりに芝居を見て泣きました。

立ツ鳥会議の芝居を見るのは初めてだったので

次回作も必ず見に行こうと思います。

「夕夕方暮れる」がテーマにしていたものは何だったのか

感想を書きながら、自分なりの解釈を考えます。

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夕夕方暮れるの実績

立ツ鳥会議

次世代応援企画break a leg(2019)に選出された

伊丹AIHALLのbreak a legに選出された芝居は面白いって言うのが@49hackJpの定説。

作品コンセプトが会話と関係性だけでなく劇構造で示されており、それが伝わりやすい形で提示されている点、物語の諸要素を演劇的手法も用いつつ、巧みに回収し形作られている点、また、普遍的な会話の枠からはみ出さず、無理がないバランスで面白みのある会話がなされて、成果を上げている点など、主に戯曲を書く力が抜群であったため、推しました。団体固有の技法の萌芽が感じられ、アイホールにて技法の洗練が期待できるため選出しました。

泉 寛介

「平成31年度 次世代応援企画break a leg」参加団体 選考結果のお知らせ | AI・HALL(伊丹市立演劇ホール)

Corich舞台芸術祭り2019春の最終候補10作に選出された

応募86作品の中から最終候補に選ばれた10作品のうちの1つが「夕夕方暮れる」

グランプリ受賞作品は6月20日に決定されます。

時間軸が曖昧

「夕夕方暮れる」は一定の時間軸ではなく、前後関係がやや不明瞭のまま話が進みます。

「平日の午後6時の物語」であるいうことは明らかにされていますが

ラストシーンではどっぷり日は暮れていたしそこらへんも厳密には曖昧です。

拡散が収束したかのように思えてまた拡散していく掴めなさがなんとも言えません。

時間軸が曖昧であると言うのは単なる舞台設定ではなく

今回の夕夕方暮れるで立ツ鳥会議が主題としていたメッセージの核心があるように感じました。

夕夕方暮れる

没入感が高まる

台風などの大きな出来事もありながら、時間軸は大きな流れ、うねりの中で話が進むので

普遍的な悩みを抱えた人たちの出来事として

観客の没入感を高める効果がありました。

時間軸を正しく組み合わせることは求められていない

「全てのシーンの『曜日』を正確に把握する必要はありません」とパンフレットに記載されています。

時間的整合性よりも

夕夕方暮れるのが訴えたかったメッセージは

時間の経過によって行動の持つ意味は変わる。

行動の正誤よりも行動にいたる個人の想いが大切。

想いが確かであれば行動にとらわれることはないし

同じ行動をしていても時間の経過によって

真逆の意味合いが発生することもある。

だと思いました。

山之内が梶に対して話していた「行動は同じなのに時間の経過で違う意味合いを感じてしまうんだよ・・・」みたいなセリフが理解のヒントになりました。

ラストシーンの解釈について

ラストはぬいぐるみ(ティラミス)が捨てられていたかのような発言での幕引き。

ぬいぐるみが捨てられていた場面がなぜラストなのか。

捨てられていた=家族の崩壊 ではない

ぬいぐるみ(家族)を捨てようと思った久田修は

ワラワラと人が集まってきたので(笑)

ぬいぐるみを捨てずに家に帰りました。

なので

ぬいぐるみが捨てられていたと仮定した場合

久田修は結局家族とうまくいかずに捨てたと解釈するのが普通です。

捨てられていた=家族の再生

同じ行動をしていても時間の経過によって

真逆の意味合いが発生する

というメッセージが夕夕方暮れるにあると理解すれば

捨てる=崩壊 ではなく 

捨てる=家族の再生 を決意したと解釈することが可能です

物語始まって序盤に、久田修が誰かに駅の方向を聞かれた時に答えていたセリフ

(記憶おぼろげですが)

「駅に戻りたいなら(帰りたいなら)、一番見慣れてない景色の方に進まないとたどり着かないよ。来た時とは見えてる景色が逆なんだから」

人間関係をある状態に戻そうと決意した時の心得として言っているとも解釈できます。

久田にとって家族を再生するために”一番見慣れていない景色の方向”が

ティラミスを捨てることだったのではないでしょうか

行動そのものよりも想いを感じろ

捨てる捨てないと言う行動ではなく、想いはどうなんだと。

行動の正誤よりも行動にいたる個人の想い

をしっかり読み取れよと

そんな風に言われている気がしました。

そう考えれば

梶が山之内にしていた一連の行動や

波多野家一家の軋轢も同じことをテーマにしているように思えます。

ぬいぐるみが捨てられている場面は

夕夕方暮れるが主題としていたことと密接な関わりがある重要なシーンなので

ラストとして選んだんじゃないでしょうか。

捨てられていたのはぬいぐるみで確定ではないですが(笑)

立ツ鳥会議の次回作も絶対見に行きます!


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泣いて喜びます。

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